体罰の行使とかカンニングの摘発は極めて難しい

 世の中教員に対して批判的なので、体罰を行使した教員は手厚い社会的制裁を受ける。一般の人は自分より年の低い人に対して、力の行使に及ぶことがまずないため、この気持ちを分かってもらうことは極めて難しいのだが、いざ自分で体罰を与えてみよう思うと、かなり躊躇する。まず、力の加減が難しい。それに生徒に反撃されることもありうる。更には、体罰によって後で自分が処分されることを想像してしまうからだ。

 この躊躇を乗り越えて体罰の行使に達する先生には二通りあると思う。一つはブチ切れちゃう先生。これにはあまり言及しない。完全に教員失格だから。二つ目は、後の自分にとっての不利益を受け入れてでも、子供の成長を強く願っている先生。後者の先生はとてもすごいと思う。殆どの先生は、まず体罰はしないはず。だってそこまで自分を犠牲にしても、その子供が更生するとは限らないし、社会的な罰則がきつすぎる。なので、なぁなぁで済ませてしまう。その結果、巷に躾のなっていない大人が増加してしまう。考えが古いと言われてしまえばそれまでだが、何でもかんでも理詰めでやっていい事悪いことを子供に説明するのは難しい。前提とする知識量が少ないのだから。でも、大きくなるまで放置しておけば、更生が難しくなる。だからある程度の体罰の行使は仕方ないとおもう。体罰までには至らなくとも、思いっきり怒鳴るつけるのは必要だろう。

 最近、入試の不手際でも教員が叩かれるが、いざ入試監督すると分かることは、カンニングの摘発は極めて難しいという事。スマホカンニング、隣の人の回答を見るカンニングなど色々あるが、怪しいなと思ってもその証拠を確保するのが難しい。ビデオカメラで撮るわけにもいかないし、怪しいと思ってその子の周りをウロウロすると、後で試験監督に周りをウロウロされて試験に集中できなかったとかクレームが入る。つまり、カンニングの証拠を押さえようとする行為がクレームの対象となってしまうのだ。阪大の件なんかを見ていると、そのうち損害賠償まで来るのではないかと思う。ということで、カンニングの摘発についても、摘発したところで試験監督にメリットは無いし、間違いでもあろうものなら重い処分が試験監督に下るので、放置せざるを得ないというのが、正直な感想である。

 体罰を加えない、カンニングは放置するというのは、おバカさんにとってはとてもメリットがある。何やったって咎められないからね。そしておバカさんはおバカさんのまま社会に出ていき、社会でも周りから注意されることなく、しかし評価は低いまま時間が経過し、閑職につくか、ドロップアウトして問題行動を起こす。こんなパターンがいま日本で繰り返されているような気がしてならない。このパターンを抜け出すためには、もっと教員が強く意見を主張できるようにした方がいいと思うんだが、そうはならないんだろうなぁ...。