三流は三流なりに論文を書けばいいと思う

 ヤフオクに出した商品は全然落札されず1週間放置中、注文住宅の打ち合わせも2週間延期、外部資金の結果連絡は1か月後に延び、さすがに観念して論文を書き始めました。

 

 初めて論文を全て自力で書いたのは6年前、学位を取って1年後でした。お恥ずかしいことに博士課程では教授というか、その部下の助手の先生におんぶにだっこ状態だったので。年に一報書くのが精いっぱいだったのが3年前くらい。一昨年位から2報くらいかけるようになって、今年は2報受理、1報結果待ち、1報共著者の許可待ち、いまからもう1報書こうかというところです。昔は論文がアクセプトされたら自分にご褒美で結構高いものを買っていたのですが、最近はちょっと豪華な夜ご飯くらいまで、アクセプトが日常化してきました。

 

 ただ、いまだに大した論文書けないんですよね。

「実験しました、こんな結果出ました、おわり。」

みたいな論文が多いです。たまに、

「こういう結果が出てます、こういう仮説が提唱されています、その仮説を検証するためにこんな実験しました、この仮説はあってます/あってません。」

くらいの論文を出せることもありますが、あまりたくさんは無いです。それでもエルゼビア系のインパクトファクタ―3か4くらいの雑誌には載るんですよ。所属機関で評価してもらうだけならこれで充分です。

 

 そんな訳で、お恥ずかしいことに、有名な研究室の修士課程の学生にも負けるんじゃないかというくらいの研究して、しょぼい論文書いてますが、まぁそれでもいいと思うんですよ。科学に絶対的な評価基準なんてないですからね。軽々しく人の研究をしょぼいと言うヤツは、大したことやってません。職業に貴賤は無いのと同じように、研究にも貴賤は無いと思うのです。エライ教授がこの研究はしょぼいと言っても、別の先生とか企業の人が、このデータはすごく重要だと言ってくれるかもしれませんし。

 

 そんな訳で、今日から新しいしょぼい論文を書き始めます。