やっぱり手を抜くところはそこになるよね

 業務効率化によって業務の作業時間が減少するので、無限に業務は増やせるというスゴイロジックが当たり前になっている大学ですが、実際はそんなわけあるはず無い訳で。実際はお上の評価項目に入っていない業務の手を抜いて、新しい業務を何とかこなしているのが現状だと思います。

 お上の評価項目に入っておらず、手を抜きやすい業務が残念なことに授業と卒論・修論。学生からの授業評価はテストを簡単にしておけば高くなるし、卒論、修論ゴーストライターを召喚すればかなり指導時間を減らすことができます。そんなことしていい訳ないのは倫理上の話で、教員だって肉体的限界があるので、これだけ余計な仕事が増えるとその聖域に手を出さざるを得ないはずです。でも、他の教員がどうやっているか、基本的には分からないんですが、いくつかわかるチャンスがあって、それは他の教員の授業を引き継いだ時。

 たいていどの講義にも留年生がいるので、「去年の授業と比べてまぐろの授業はどう?わかりにくいところない?」と聞けば去年の担当教員がどんな授業しているかわかります。あと、試験問題。JA〇EEの関係で、試験は問題と模範解答を保管する必要があるので必ず手に入ります。で、間もなく期末試験なので、作問のために昨年の試験を調べていたらあまりよろしくない...。シラバスに書いてある学習範囲の1/4しか出題されていないし、出題されている問題も間違ってるんですよね。で、その担当の先生は外部審査の窓口教員とか出前講義とか学会委員とかを率先して引き受けている人で、「いったいこの人はどうやって時間を捻出してるんだろうか...。」と思ってました。

 やっぱりみんな人間なんで、どこかで工数を減らさないと物理的にできませんよね。というか、仕事させる側もそれを見越して仕事をドンドン押し付けているような気がします。にもかかわらず、上手に手を抜けずに苦しんでる人もいて、そういう人が潰れるんだと思います。自分の場合は補助員を雇うという力技でこなしているのですが、もう補助員にアウトソーシングできる仕事は残っていない状態で、仕事がドンドン増えてしまってあまり体調もよろしくないです。やはり聖域に手を付けざるを得ないのか...。

外からの仕事の取捨選択基準が難しい

 大した研究してないんですが、学会誌の執筆とか講演会を引き受けてくれる人が少ないらしく、そういうの書いてくれとか話してくれという依頼がそれなりに来ます。一件は報酬が破格だったけれども、受講料に見合う価値を提供できんなぁと思って辞退したんですが、報酬の有無に関わらず他は来るもの拒まずのポリシーで引き受けてきました。

 先月、来年の3月の国内開催の国際学会のセッションオーガナイザーやってる知り合いの先生から枠埋めるの手伝ってって言われました。英語苦手なんで嫌だったんですが、渋々引き受けて、ようやく予稿が英文校閲直前まできてやれやれと思っていたのですが、今日、学会の支部世話人をやっている学内の先生から、年末の支部会で講演してくれと言われました。あと、数年前にデモ測定やってってメーカーの人に頼んで、いい結果が出たんでそのまま論文に載せたんですけど、メーカーのエンジニアがこれまた学会誌の執筆頼まれてて、前のデモ測定の論文の内容載せたいから、たたき台の草稿見てって言われて、これも間接的に自分の研究なんであまり手を抜けず、かなり工数を食ってます。いやもうホントにキツい。まぁでも普段ほとんど接点無いのに声かけてくるってことは相当困ってるんだろうなと思って受けた方がいいかなと思いつつ、こういうのって惰性でやってるだけのこともあるし、そんなお人好しなことしてたらまた体壊すよなと思いつつ只今迷い中。

 お金と仕事は寂しがり屋なので一か所(一時)に集まる性質があるって誰かが言ってましたが、そういう意味では講演とか仕事が来るのは良いことなのかなと思います。ただ、一回断るとサーっと仕事がなくなって、それで新しい出会いとかが無くなると、研究のネタを出せないスランプに陥って、外部資金獲れなくなるみたいな強迫観念で無理に引き受けているような気もする...。なにか取捨選択の基準を作らないとダメですね。

人の考えを変えようというのは無理な話と分かっていても

 ツイッターはなんだかんだリアルで会っている人がフォロワーにいるので、グチはブログで書くのがいいかな。ということでグチです。前も同じこと書いたかも...。

 地方弱小大学では入試倍率向上のために、大学教員が手弁当/振休で休日に地方の高校を回って大学の紹介をしたりするなど涙ぐましい対策をしています。ウチの学科は学内でも入試倍率が低いほうなので、学長にイヤミ言われたり、学内での発言力が弱く、全学的な取り組み+α的なこともやらないといけないということで、指定日時にZOOMで公開講座をやっています。

 公開講座の周知のために、案内のチラシや学科紹介パンフレットを封筒に入れて、県内の全高校の進路指導の先生に郵送しているのですが(まずこの段階で個人的には耐え難い)、その作業を教員でやってます。まぐろとしては、そういう事務作業を博士号を持っている公立大学の教員がやることは、税金の無駄もいいところというか、その時間をせめて授業料を支払っている学生に使えよと思うのです。そこで、

「自分のところで雇用しているテクニシャンに郵送作業をさせますので、それぞれの先生方には学生指導などに時間を使ってもらいましょう」

と、学科長に提案したのですが、

「いやいや、みんなでやった方が早く終わりますから、そのテクニシャンの方も含めて、都合のつく教員全員でやりましょう。」

と返されてしまいました。

 メールを見返すと、去年も同じようなやり取りがあったので、同じことを二度やる自分もバカだと思うのですが、やっぱりチラシの郵送は学位持ってそれなりの給料をもらっている人間がやってはいけないと思うのです。それは間違ったことではないとは思うのですが、学科長はそう考えてはいない訳で(もちろんほかの理由もありうるが)、それを変えようというのはおこがましいことなのかもしれません。あと正論ぶつけるだけではダメで、なぜメリットしかないと思われる提案を断られるのか、自分の普段のふるまいに何か問題がないかよく考えるべきかも。

 ただ、たかだか1時間程度の作業なので、テクニシャンは出さずに、自分も作業に参加するのが一番無難で、変な正義感のようなものに振り回されて波風立てないようにするのがストレスなく生きていくコツだということもわかっているつもりではあります。ましてや大講座制ですので普段はほとんど独立して仕事をしているわけですし。でもそういう仕事への取り組み方はイヤというか、そういう行動性向って他のことにも反映されてしまうので、避けたいんですよね。はぁ、ストレスがたまる...。

孤独と独立

 中堅以下の大学は大講座制(教授、准教授が個々に研究室を持つ制度。多分。)が殆どで、上位の大学では小講座制(一つの研究室が教授、准教授、助教のセットで構成される制度。多分。)が採用されている。と、思う。一般的に言われるそれぞれの長所、短所は置いておいて、自分が思うのはとにかく孤独だなぁということ。まぁ、いまさら上司がいきなり来て、あれこれ指示されるのも嫌だなぁと思うので、比較的若いうちから独立できるのはいいかもしれないけど、とにかく孤独だと思う。

 例えば、昨日は書こうとしている論文の論理の穴を埋める、とても良い実験結果が出たんだけれども、その喜びを共有できる相手がいないということがおきたりします。まぁ学生と一緒に実験してたので学生と良かったねと言っていればいいんだけれども、やはり研究の背景の理解が浅いので、どうも喜んでいる次元が違う気がして虚しくなるんですよね。そこで問題点を共有している上司もしくは部下の研究者と結果が出た時の感動を共有できたらいいのになと思うわけです。実際は上司や部下がいても、あ、そう。で終わちゃってそういう事はないのかもしれませんが。仕方ないので嫁さん(全然専門が違うけどエンジニアではあるのである程度話が通じる)に話してまぁ良しとしました。

新しい目標はダメになって再び右往左往

 ほぼ1年ぶりの投稿ですね。前の投稿で研究上の新しい発見があって、大事に育てていこうという文章を書いたのですが、入念に再実験したら外部施設の測定装置のエラーだったということがわかり、がっかりです。また別の手堅そうな研究の種が見つかって、こちらは少額ながら共同研究契約まで進んだので、とりあえずメシの種には困らなさそう。

 

 最近、新しい人が准教授として着任したんですけど、国内最高峰の学歴で、マグロの所属する学会では最高峰の大学で助教やってた人で、僕より10歳くらい年下です。挨拶の時に超すごいファンドを取ってきて学科の発展に貢献したいと思います!なんて言っちゃうあたり、やっぱ最高峰はスケールが違うよなぁと感じました...。

 

 もうほかの機関に移るのはやめることにしました。なんか目的と手段を間違っているような気がして。ただ、そうなると特に目標もなく、研究自体は嫌いではないですが、バリバリ論文書いて、でっかいファンド取ってきて、バンバン発表するぞ!みたいな、自分の中の爆発力みたいなのが無くなってしまったように感じます。あと、昔はもっと物欲があったのですが、欲しいものはだいたい買ってしまって、研究もプライベートもお金の使い道がなくて、これもモチベーションダダ下がり状態につながってます。

 

 で、ごく最近の試みですが、今一度自分の、およびその周辺の研究分野の勉強をやり直してます。これがちょっとだけですが楽しい。やった分だけ理解が進んだというアウトプットが得られるというか、過去の結果の解釈がより深くなって、新しいアイデアが浮かんでくる感じが心地いいです。そういう部活の基礎練習みたいなの取り組みが、たなぼた的に、5年後、10年後に何か大きな変革をもたらしてくれたらいいな。

新しい目標を見つけた

 研究ノートで見てみると2017年位なんだけれども、不思議な現象を観測してて、当時は別の応用を考えてたんだけど、それは上手くいかなくて止めていた実験がありました。で、つい最近、学会の飲み会で企業の人が「こんなんあったらいいんですよね~。」みたいなことがあって、この2017年に見つけた現象をふと思い出し、別の観点から評価してみるとかなり面白い結果が。

 こういう棚ぼた的なパターンで見つけた別の研究テーマは、今の自分のコアテーマになり、ちこくの底辺教員にまで引っ張り上げてくれました。が、見つけた当時はとにかく業績とお金が必要だったので、そのテーマをすぐに研究費なり論文なりに変換するのに必死でした。

 しかし、今は研究費にも余裕があるし、さらに上位の組織に行ったところで対して待遇も変わらないし、それでテーマと仕事を増やしたところで、校務を減らしてくれるわけではなく、むしろ過労が促進される状況です。なので、このテーマは1年位あらゆる方向から、出口を強く意識して調べて、論文化などはせずに社会実装に持っていきたいと思います。もしテーマにポテンシャルがあれば、ベンチャー企業作るところまで持っていきたい。そして、今いる組織から金銭的に独立する。それを新しい目標にしたいと思います。今の組織に移って5年。ようやく新しい目標が見つかりました。

単位認定に関する恐ろしい話

 衝撃的。

 

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/06/17/194248

 

年度末になると進級をかけた単位認定のバトルが学生と教員の間で繰り広げられるわけですが、教員がお情けで単位をあげたら、教務の事務がそれを指摘して、大学が当該教員に8か月の停職を命じたという話。

 

 うーん、まぁ色々と特殊な事情があったんだろうと思うけど(担当事務が変な人だった、教務委員会の教員と当該教員の仲が悪かった、ほかの学生がチクった等)、これは恐ろしい話。少なくとも自分の学科ではよほど学習態度の悪い学生でなければ、基本的には何らかの方法で救うという空気感があるので、このケースの基準を当てはめると、たぶんほとんどの教員が停職になると思う。

 

 にしても単位認定でここまでこじれる大学って、職場の空気が相当悪そうね...。