民事裁判の被告になった話③

 お葬式は滞りなく終わりました。滞ったかもしれませんが、この後の滞りがひどすぎて記憶に残っていません。ひとまず勤務地に戻り、休み中に発生した残務を片付け、香典返しや行政手続きを片づけつつ、7日に1回の法要の度に実家に帰り(これが大変だった)、49日が終わり喪が明けました。

 

 次のステップは誰もいなくなった実家の片づけです。実家の建物は私のものですが、土地は借地なので、地主に遺品整理のため1年間程度は土地の返却を待ってほしい旨伝えました。母の死因は、遺品整理が終わってから地主に伝えるつもりでしたが、聞かれなかったので、ひとまず死因については伝えませんでした。夏が終わり、秋に入ってから、実家の家財を処分しました。父は大工で、好き放題家を改造できることもあって、そこら中に収納があり、僕の使ったアヒルのおまるまで残されているレベルでしたので、処分が大変でした。軽トラを借りて近所のごみ処理施設を100往復位したと思います。とはいえ、いつかは終わりが来るもので、ひとまず完全に家の中の処分が終わりました。この時は、母が亡くなった時に家の中を見てくれた従姉の旦那さんに助けてもらえました。私は兄弟がいないので本当に助かりました。

 

 そして地主に土地を返す旨を伝えるための打ち合わせをしました。自殺の件について、地主には伝える旨を母方の兄にしたところ、当初は隠し通すことを求めてきましたが、従妹が「ばれて裁判になった時にだれが責任取るの」と説得してくれて、地主には伝えることになりました。そして地主を実家に招き、打ち合わせを行いました。どこで聞きつけたやら、地主は自殺の事実を知っていたようでした。このことには驚きを禁じえませんでした。私の知る限り、この地主に情報が伝わるルートはありません。事実はいまも不明ですが、一般人が使える以上の何らかのルートでこの地主は情報を手に入れたのだと思います。あとで述べるようにこの地主はカスですが、お金と土地を持っている関係で、一般人が使える以上のルートを使えたのだと思います。そういうルートが存在することを知ることができたことは一つ勉強になったと今は思います。

 

 地主から、賠償金として数十万円を支払ってほしい旨を記載した弁護士によって作成された書類を次の打ち合わせの時に渡されました。賠償金を請求される可能性は予見されたので、事前にこちらも勤務地の弁護士協会に行って、法的には賠償金を払う義務があるのか相談していました。結論としては”無い”とのことでした。家自体は私のモノであり、それは解体してしまうのだから、特に地主に賠償金を払う必要はないという解釈が一般的とのことでした。また、知り合いの不動産屋にも相談したところ、見解は同じでした。とはいえ、それを前面に出すと揉めますので、ひとまず持ち帰って、家屋の解体などの手続きのスケジュールが決まり、土地の返却日が決定してから、書類にはハンコを押して返す旨を伝え、謝意として菓子折りを渡しました。

 

つづく