民事裁判の被告になった話②

 従姉の旦那さんから母が首つりで自殺したことを知らされたのが日曜日。職場に連絡して一路実家へ。いつもはケチって高速バスで帰るところですが、さすがに急行で帰りました。駅では従姉が迎えに来てくれていました。目を真っ赤にはらして。というか、現場を見たらしいので相当ショックを受けていたと思います。実家に到着して遺体を確認。自殺の場合は検死が必要なのですが、そこは元看護婦だった伯母が手続きをしてくださり、死後3日ほど経過していたようで、若干体液がお風呂場に落ちていたはずですが、それも掃除されていました。死んだ母の首には跡が残っていました。

 

 遺体と対面した時、涙は出ませんでした。実家に帰らず一人にさせたことを申し訳ないとは思いました。とはいえ、1カ月に1回程度は帰っていたし、電話もそこそこしていました。仮に実家に帰って就職しても、母の性格は
「既に持っていることにはありがたみを感じず、持っていないことを嘆く」
というタイプだったので、帰ったら帰ったで今度は父が亡くなっている事や、依然として父方の親戚からムシされていると”感じて”いることに文句を言い続け、おそらく妻ともうまく行かなかったと思います。と言えば納得してもらえるかもしれませんが、僕自身の都合の良い解釈であることは否定しません。

 

 その後、お葬式の準備。私を中心に親戚が集まって打ち合わせが始まりました。母方の兄が
「対外的には心筋梗塞で亡くなったということにしよう。」
という提案をしてきました。正直、僕自身は聞かれたら素直にありのままを言えばいいと思っていたのですが、母方の兄はいわゆる恥の精神があったようでした。僕自身は離れた所に住んでいるが、彼らは地元におり、周囲の目を気にせざるをえないという事情は理解していたので、そこは承知しました。

 

 問題だったのは、母が亡くなったと思われる次の日くらいに、母の友人が夜に実家のお風呂場をのぞいたことでした。はっきりとは見えなかったようですが、亡くなった母の影が見えたようで、自殺であることを疑っていたようです。そのため、自殺なんじゃないのといった旨のことを言われました。この時、完全な情報封鎖は不可能だと思いました。

 

 この結論が出たのが夜中の11時くらいだったと思います。母方の兄は葬儀を早く済ませたいようで、寺に電話しようと言いました。当然喪主となる私が電話することになります。こんな非常識な時間に電話などしたくなかったのですが、葬儀屋も早く終わらせたいなら仕方ないですねとつれない答え。仕方なくお寺の住職に電話。「母が心筋梗塞で亡くなりまして...」と説明したのですが、「お母さん、そんな感じじゃなかったですよね」と不機嫌そうに言われ(夜中の11時ですからね)、ここでも本当に母は周りに気にかけてもらっていたのだなと思いつつも、そんなこと根掘り葉掘り聞くなよとイライラしつつ、なんとか説き伏せて、翌日から葬儀をお願いできることにはなりました。

 

つづく