民事裁判の被告になった話①

 平凡な公務員の私ですが、民事裁判の被告になったことがあります。この経験で学んだ教訓を語っていきたいと思います。

 

 数年前の春に、妻と一緒に近所の喫茶店でモーニングを食べてました。そしたら地元の親戚からショートメールが。
「最近お母さんに全然電話が繋がらないから家見に行った方がいいよ。」
見た瞬間に「自殺したな。」と感じました。

 

 時を遡ってさらに十年前、父ががんで亡くなりました。私は一人っ子で地元から数百 km以上離れた場所で就職したので、母は地元で一人暮らしをすることになりました。母は周囲から孤立気味でした。母は父の実家とうまく関係を築くことができず、盆や正月に父の実家に帰省する前後はかならず帰省する、帰省しないで夫婦げんかをしていました。その後、父が亡くなった訳ですが、母曰く、
「いままで「長男の嫁なんだから」と言われて法事やら祭りの度に台所仕事をしたり、近所に挨拶やらさせられてきたのに、お父さんが亡くなってからはちっとも私のことを気にかけてくれない。」
と、私が帰省するたびにずーっと泣きながら私に文句を言っていました。また、母には3人の兄がいたのですが、この兄ともうまくいかず、自分の親戚からも孤立気味で、その点についても、私のことを皆が気にかけてくれないと文句を言っていました。私から見れば親せきや近所の人たちは充分気にかけてくれているのですが、母がそれを拒絶しているように見えました。

 

 そのような状況ですので、母はずっと孤独でした。大工であった父の残した家があり、自身も理容師免許を持っていたので、父が生前に家の片隅を改造して作った床屋スペースで一日2,3人程度ですが、お客さんが来てくださって、お小遣いも手に入ったし、ある程度の貯えもあったので、お金に困ることはありませんでした。しかし物質的に恵まれていても、精神的には常に寂しさを感じると同時に、被害妄想のようなものにかられ、睡眠薬なしには寝れない状況でした。また、一度お風呂場で手首を切ったことがありました。ざっくりとは切れなかったらしく、また、自殺をほのめかす電話を親戚にしていたようで、気にかけてくれた親戚が見つけてくれて助かりました。ここからもわかるように、実際は周囲の人たちは気にかけてくれていたのです。しかし、孤独かどうかは本人の主観ですので、本人が孤独と思えば孤独になってしまうのです。
 
 自殺に関しては、私の中で母は「狼少年」状態でした。1週間に1回程度は電話をしていたのですが、ある日何度かけても電話に出ないことがありました。
「これはヤバイ」
と思い、地元に帰る高速バスに乗ろうとした瞬間、酔っぱらったような声でようやく電話が。どうやら睡眠薬を飲んでいたようでした。
 
 そんなことがあったので、今回のショートメールもどうせ寝てんだろうと思いそうなものですが、そうじゃないと直感的に感じ、そして直感は当たりました。すぐには実家に帰れないので、従姉の旦那さんに家を見に行ってもらうように電話で頼み、そして程なく電話がかかってきました。
「マグロくん、お母さんあかんかったわ。」
母はお風呂場で首つり自殺していました。

つづく。