鬱の学生の卒論指導をどうするか

 実際のところまともに指導するのはほとんど無理で、必要な能力を身につけないまま卒業しているのが実情ではないかという話。

 学部生が鬱になってしまって、研究室に行きたくないというので、リモートで指導することに。この学生は年度初めは試験勉強、夏やすみは院試、そのあとコロナになったので実質的に何も研究をやっていない状態。ようやくリモートなら研究するといいだしたのが10月。ウチは2月中旬卒論発表なので、実質3.5か月で卒論と発表資料を作らないといけない。実験無しなので計算するしかなく、計算するためにはそれなりの勉強をしてもらわないといけないけど、ややこしい原理を勉強する途中で挫折してまた鬱がひどくなったりする可能性もある。一方で、こちらがおぜん立てしすぎると学生のプライドが傷つく。以前おぜん立てしすぎて学生から「これはボクの研究じゃなくて先生の研究です」とか言われて、こちらがすごく傷ついた(笑)。なので、ある程度やった感を感じつつも期限に間に合い、なおかつ精神的な負荷がかからないような絶妙な課題を設定する必要がある。

 と、そこまで考えて思ったんだけれども、鬱を錦の御旗に掲げられると、たいていのわがままが通ってしまう社会の風潮は良くないと思うんですよね。他の学生に示しが付かないし、結局学部の4年生でやるべきことを大学院に先送りしているに過ぎない訳で。まぁとはいっても、大学院(ほかの学会に行くことになっている)でも先送りしそうな気がするんですが。そして社会に出て苦労するといういつものパターン。しかし、社会でも鬱を盾にして休職して給料もらいつつ、首にならないようにするために年間数日だけ出勤する人いますよね。実際、職員の中にもそういう人がいるし。結局、いろんな社会のステージで、真面目に歯を食いしばって頑張る人が知らないうちに穴埋めをしてるんですよね。

 自分のやっていること(体裁だけ整えて発表と卒論提出させて外に出すこと)が正しいとも思えないし、かといって「いや、鬱だからといってゲタを履かせて卒業させる気はありません」という勇気もないというか、そこで大学と争う時間が無い。結局、卒業させるしかないんだろうなと今は考えています。ホント、教育者失格だなと思います。