やはりマグロか

 大学院の修士課程を修了した後は民間で4年ほど機械設計をやってました。詳細はまた後日書くとして、面接のときも言ったんだけれども、本当は研究開発をやりたかったんです。けれども会社としては数少ない機械・電気系出身者には設備設計をやってもらいたいので、部署を移動できる見込みが全くありませんでした。そこでいまの学校に教員として転職したわけです。

 当初不安だったのは、研究テーマが思いつくかどうかという事。授業もそれなりに不安だったけれども、やることがはっきりしているのでそれほどではなかった。研究テーマは何をやっても自由、だけど成果は出してねという性質のものなので、本当に設定が難しく、設定が悪ければ自分はともかく学生にも迷惑が掛かってしまう。いや、学生のことは二の次かな。やっぱり何をしたらいいのか皆目見当がつかず、誰もヒントをくれないのが一番の不安だったな。

 そんな不安もあったんだけれども、がむしゃらに7年間働いてテーマには困らなくなった。恐らく今の学校にいる限り、定年までテーマの枯渇は無いだろうと思う。必ずしも先鋭的な結果を出さなくても、学校の第一の目的である学生の輩出さえできるレベルでゆっくりテーマを消費していけば、まず枯渇は無い。何も考えなくてもテーマを消費していく中で偶然見つかるテーマもあるからね。

 ところがそんな安定した状態を目指して頑張ってきて、テーマの枯渇というストレスから解放されたのに、今度は日々の仕事が面白くない。ストレスが無い事がストレスみたいな。ストレスではないかな。とにかく面白くないんだ。実験して何か発見があっても心が躍らない。学生の時は与えられたテーマに取り組んでいれば充分楽しかった。今も、過去の自分が見つけてくれたテーマに取り組んで、結果もそれなりに出る。人脈もできて研究費にも困らなくなった。不妊治療の末ようやく子供も授かった。仕事もプライベートも順風満帆ではないか。ところが面白くない。ウキウキしない。

 思うに、自分はステップアップすることにしか面白みを感じられないんじゃないかと考えている。学生の時はより良い学校へ。社会人になってからはよりよい環境へ。そうやって実績を積むことそのものが面白い。給料を上げることが目的で、ステップアップはその手段というのではなく、給料はどうでもよくて、ステップアップそのものが目的ということ。そういうことかなと。考えてみると大学の公募に応募するときは少し面白い。面接で落とされたときはすごく悔しい。だから自分が面白みを感じるのはステップアップかなと。ただ、いつか自分の能力の限界が来る。ハーバード大学の先生になることは無理だろう。ステップアップできなくなった時、自分はどうなるんかな。

 

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