教員公募戦線から離脱します

 苦節2年。内々定を頂きました。長かった。准教授ポストを得るべく、以下の通り、昨年の4月から各地で戦ってきました。ちなみに公募戦士マグロは30代後半、主な武器は論文20報、10年の総獲得外部資金4千万です。科研は若手B×2。コネなし。

2017年

・初陣:中部遅刻・書類にて討ち死に

・2戦目:中部遅刻・書類にて討ち死に

・3戦目:首都圏遅刻・書類にて討ち死に

・4戦目:中部遅刻・面接にて討ち死に

・5戦目:宮廷・書類にて討ち死に

 2017年に研究がかなり進み、応用面がメインだった研究に、サイエンスとしての面白さが加わりました。

2018年

・6戦目:宮廷・書類にて討ち死に

・7戦目:中部遅刻・おそらく書類にて討ち死に

・8戦目:首都圏遅刻・おそらく書類にて討ち死に

・9戦目:中部ではないところの遅刻・内々定

印象深かった出来事ですが、4戦目の面接で討ち死にした時には本当にショックでした。面接で「先生の実験装置の占有スペースはどのくらいですか?」と聞かれた時には、「キター!」と思っていたのに、2週間後くらいに”ますます”通知。舞い上がっていただけに、落ちた時のショックが大きく、1カ月くらい戦意喪失状態でした。

 デキだなーと確信したのは、2戦目の中部遅刻。まともな論文がほとんど出ていない内部の助教が採用されていました。4戦目で採用された人はコネの匂いが少ししました(有力ラボ出身)が、業績的には負けていたので納得でした。

 6戦目は宮廷の教授公募にだしてました。ちなみにマグロは30代後半です。見込みが全くないのに出した理由は、知り合いの先生に出せと言われたから。当然書類で落とされるのですが、教授の公募は要求される書類の数が少し異なっており、今後はこの書類に書き込める業績を増やさないといけないことが分かったというは良い経験でした。

 7,8,9戦目はほぼ同時に書類を出しています。大学のレベルとしてはそれほど変わらないのに、9戦目は内定、他はまだ連絡が無く、書類落ちのようです。やはり業績も大切ですが、分野のマッチングがそれに増して重要なんだと思いました。しかも、そのマッチングはかなり精度が高くないといけないようです。

 9戦目の面接ですが、正直あまり手ごたえは感じませんでした。プレゼン後の質疑応答で、リストに沿って確認事項を訪ねられているように感じられたからです。これはダメかもなと思っていたその日の夜、先方の担当教授から電話がかかってきて内々定となりました。面接の感触は当てになりませんね。

 いろんな人の公募戦線参戦記を見て勉強しました。今度は私の参戦記が役に立つよう、また追々詳細を書いていきたいと思います。