准教授公募戦を振り返る その5

 自分のため、これから挑む人たちのために准教授公募戦を振り返ってみようと思います。

 東海北陸地区の遅刻工学部の面接で落とされて失意のドン底のマグロでしたが、泳ぎ続けるのが宿命ですので、次は殉教の枠を外して、助教も視野に入れました。これは、知り合いの先生のアドバイスがきっかけでした。この先生も東海北陸地区の遅刻を助教を受けられたのですが、jrecinの公募内容を見る限りでは任期付きの助教で、旨味が無いように思われたものの、知り合い経由で問い合わせてみると、准教授に上がれることは確定のポストで、色々な制約のために、任期付きの表記になっているが、実質は任期無しという募集だったそうです。こんな情報にありつけたのは、その先生が学会で活発に活動されていたためなのですが、現任の機関で相当な量の校務をこなしつつ、学会でも活動されていたということで、やはり外に出られる人は違うなと思いました。

 ということで、南の宮廷の助教に応募したのですが、これはあえなく落選でした。続いて関東地方の遅刻殉教に応募を考えました。これは全部書類を作って、宛名を書いた封筒にいれて、あとは郵便局に行くだけのところまで行ったのですが、止めました。あまりに交通の便が悪いためです。私は実験系なので、どうしてもあちこちの研究機関の装置を使う必要があります。このことを考えた時、あまりに立地が悪すぎました。

 この時点で夏が終わろうとしていました...。