父親の悲しさよ。

 社会人になってからこれほど年末年始に仕事しなかった年度は無い。仕事納めが終わってから今日までずーっとウチにいた。但し、ダラダラしていた訳ではない。ウチにいる限り、夫は子供の相手をしなければならないのだ。その間に妻は家事をしている。フリーになれるのは、子供の寝ている13:00~16:00と、22:00~23:00くらい。あとはひたすら子供の相手をするのである。ツライ。ひたすらツライ。フリーの時間は引っ越しの段取りをしたり少しだけ論文を書いた。とはいえ、ほとんどの時間を子供の相手で使った。

 こういう生活をしている気が付くことがある。良い面は、確実にこどもが懐く様になること。と、いろんな育児ブログで聞くが、これはちょっと違うことが分かってきた。現在育休中の妻は、私が仕事で不在のときは家事と育児の両方をやっているのだが、家事をしている間は子供の相手をしていない。ところが、私が家にいるときは、私は子供の相手をしない理由が無いので、100%遊び相手になっている。そのため、たぶん子供はこう考えている。

”あの大人という生き物のちっちゃいほう(母親)は何かよくわからん仕事(家事)をしている時はどうせ相手をしてくれない。おっきいほう(父親)は不在のことが多いが、ウチにいるときは100%相手をしてくれる。”

従って、父親がウチに居て、母親が家事をやっている間は、100%父親の方に寄ってくる。すると父親は、自分にこどもが懐いているように錯覚するのだ。ウチにいる間中、こどもが自分に寄ってくるから。でも、母親が家事を終わらせて子供の方に寄っていくと、すすすーっと父親から離れて母親の方に行ってしまう。所詮父親なんてそんなもんである。常に二番手。あぁ悲しい。