博士課程の学生の指導が不安

 大学に移ったので、数年もすれば博士課程の学生の面倒を見ないといけないと思うのだが、不安である。国際誌に3本論文を掲載させて、学内の審査を通過させる事はそれほど問題ない。問題はその後である。博士が溢れかえっている現在、熾烈なポジション争いを勝ち抜いて幸せに生きていくためのスキルを今の自分が与えられるかというと、甚だ疑問である。

 自分が受けてきた指導をそのまま学生にすればいいかというと、それでは問題を解決できないと思う。自分は運よく仕事にありついたが、それはお金を稼げて、論文も出せる現象をたまたま見つけられたからであって、実力ではない。もちろん、日々そういう現象が無いかなと注意していたから見つけられたともいえるが、運の要素も多分に大きい。少なくとも受けた指導で身に着けたスキルだけで見つけられたとは思えない。従って、自分が受けた指導を自分の学生に与えても、将来食べていける保証は無いと思う。

 実際、知り合いの旧帝大の教授のお弟子さんを見てみると、40近くでまだポスドクという人も結構いらっしゃる。自分がこの教授の立場だったら、ちょっと暗澹たる気持ちになってしまう。そして旧帝大の教授でも自分の学生にプロパーの身分を保証できないのに、ちんちくりんの自分が保証できるわけないと思う。まぁ、学位取得したらあとは本人の頑張りの問題ともいう事もできるかもしれないが、ちょっと自分は無理だ。

 そういう意味では、留学生を博士課程に受け入れている先生が結構いらっしゃるのは納得できる。実際は分からないが、東南アジアあたりであれば、博士のポジションは結構ありそうなので、少なくとも科学と工学に対する取組み方の基本を習得させれば、運の要素に左右されず、メシにありつけると思う。ただ、自分の方が英語で指導できるほど英語が上手ではないんだよな...。