教育の現場はだいぶオカシイ

 高等教育機関では猫も杓子もグローバルという風潮です。とにかく英語はスバラシイ!英語で授業すべき!英語で卒研発表最高!といった感じです。でもね、英語のしゃべれる人材が欲しいんであれば、皆さんの大好きなフィリピンバーにいけばカワイくて英語のできるおねーちゃんがたくさんいるから雇いましょうということにはならないでしょう?人は与えられていないことに文句を垂れ、与えられていることの恩恵をすぐ忘れてしまうんですが、英語で授業や発表やらすれば、当然肝心の専門知識に対するフォローは疎かになるわけですよ。英語できるけど応力計算できない学生なんかいらんでしょう。そもそも英語で授業やったら、学生が会社で話す専門用語も英語になりますよ?それ、会社でのコミュニケーションに支障をきたしますよね?ほとんどの学生はまずは日本で働くんですよ?日本語と英語の両方教えるんですか?ますます専門知識がおろそかになりますよ?

 そもそも学生の間にどの程度の英語力を身に着けるかということがはっきりしていない。ちょっと海外の工場でコミュニケーションするだけだったら半年も工場にいればできるようになりますよ。にもかかわらず授業まで英語にする意味ありますか?契約書も取り交せるようなレベルにしてほしい?そんなん中途半端な英語のレベルで契約書を取り交わしたら後でえらい目にあいますよ。完璧なレベルにしろ?だったら外語大の学生雇ってください。工学系の学校では総授業時間的に不可能です。落としどころは日常会話レベルでしょうね。それ以上はあまり意味がないというか、日本でもっと英語が普及しないと弊害の方が大きい。

 なんでこんな話になったかというと、英語の先生がウチの卒研生に英語で卒研発表するように指示したようで、その卒研生が私にその旨伝えてきたから。いやいやいや、なんで英語の先生が指導教員の了承も得ずに卒研発表言語の指定をするのと?英語の指導、英語の資料作成、全部負担は私に来るんですが?そもそも卒研発表は発表だけが目的ではなく、発表に対する質問に論理だった回答をすることも目的なわけで、英語で発表すれば専門が微妙に違う他の先生は質問しにくくなって無難な質問しか出なくなってしまう。それは彼のためになるのですかと言いたい。英語の先生の行動の背景は、勝手に取ってきた予算の申請の中に卒研発表何件以上を英語にするという目標があるからのようで、この卒研生は英語がかなりできるので問題なくできるでしょうということらしい。もともと英語ができる学生に英語発表させたってなにも学生にとってプラスにならんでしょうが!と言いたいが、まぁ言っても僕にメリットは全くないからやめておこう。

 そんな訳で、教育の現場は文〇省のせいで本日も無茶苦茶です。まぁ、どうなってももう知らんよ。