学力の低い子が高等教育を受けることの弊害

 多くの人が学力の低い子に高等教育を受けさせる必要はないと考えているようでホッとする今日この頃です。

dobokutanuki.hatenablog.com現場にいる人間からすると、学力の低い子(マイルドな言い方ですね)が大学に来ると困ることの最筆頭は、「手間がかかる」ことです。こう書くと「おまえは教員失格だ」と言われるかもしれませんが、もう少し読んでください。

 例えば、学力の低い子は一回のテストで単位を取れないので、追試をする必要があるんですが、40人に対して90分のテストで済むところを、学力の低い子2人に90分の追試をしなければならないという状況になります。すると、この学力の低い2人には普通の生徒の20倍の手間がかかるんです。他に補習などもすればもっと手間がかかります。

 言い換えると、このことは同じ授業料を払っているにもかかわらず、その学力の低い2人は普通の子の20倍以上の指導を受けられるということになります。こう考えると「手間がかかる」の印象が変わるのではないでしょうか。そして彼らはその手間をかけてもらえることを当たり前と思っています。

 もっと言えば、生徒の中には学力の低い子だけでなく、学力の高い子、潜在能力の高い子がいます。彼らにもっと手間をかけてあげることができれば、さらに力を伸ばせる可能性があります。ところが、日本の場合、このような可能性を持っている子を伸ばしても何もないか褒められるだけですが、学力の低い子をほっておくと、その教員は評価が著しく落ちるので、結局学力の低い子に手間を優先的にかけざるを得ないのです。そして、教員の方もそのような可能性のある子の才能を伸ばすやり方が分からなくなりつつあるように思います。日本からスティーブジョブスのような天才が出てこない理由の一旦はこの日本の文化にあると思います。

 大学は最高学府。そこに学力の低い子を無理やり入れる事の弊害は、税金だけではないということを文科省は認識すべきだと思います。